明治橋
北上川に架かる橋です。明治天皇の東北巡行に備えて、明治7年に初代の橋が完成しました。
橋が架かる以前は、舟を何艘か並べて鉄鎖でつなぎ、その上に大量の厚板を敷き、そこを人や馬が渡っていたといいます。
その場所は、橋より100メートルほど下流。現在、石柱が建っているあたりだったといいます。
この橋は「新山舟橋 (しんざんふなばし)」と呼ばれていました。
また、このあたりは「新山河岸 (しんざんがし)」と呼ばれ、奥州街道の重要拠点のひとつでもありました。
鉄道 (現在の東北本線) が開通する以前は、北上川を使い、人や物資を運ぶ「舟運 (しゅううん)」の発着地点になっていたそうです。
この場所から石巻港 (宮城県) までが、舟で結ばれていたといいます。
周辺は、盛岡城下南の玄関口として栄え、番所・船宿・御蔵などが立ち並んでいたとのこと。
その名残があります。
明治橋際の御蔵
(下町史料館)
江戸時代後期に建てられた、盛岡藩の米の備蓄蔵 (土蔵) です。
現在は展示施設になっており、期間限定で内部が一般公開されます。
盛岡の江戸から昭和までの、様々な史料 (約2千点) が展示されています。
※ 写真撮影OK
盛岡城跡公園内の「もりおか歴史文化館」が、主に殿様関連のものを展示しているのに対し、こちらは一般庶民のものが展示されています。
現在、盛岡秋まつりで巡行されている「南部風流山車」。その前身となった「丁印 (ちょうじるし)」も展示されています。
こちらは昭和後期まで、実際に巡行されていたものです。
また、この時期は…
御蔵のおひな様
(ひなの館)
旧暦の雛祭りに合わせて、雛人形が展示されています。
雛人形の展示は、5月までになります。
【開館日】4月~10月の毎週土曜・日曜
【開館時間】10時~16時
【見学料】無料
【駐車場】10台分あり
さて、旧奥州街道ルートで、盛岡城下方面へ!
このあたりは、かつて「川原町」と呼ばれていました。
この先に、盛岡城下南の関門である「惣門」があったことから、この通りは「惣門通り」とも呼ばれます。
この通りにある「円光寺」には、米内光政 (第37代内閣総理大臣) のお墓があります。
近隣には、今も古い町並みが残る「鉈屋町」があります。
毎年4月に「盛岡町屋旧暦の雛祭り」が開催され、多くの人で賑わいます。よって今年は、新型ウイルスの影響で中止になりました。
昨年 (2019年) の様子です ↓↓↓