榊山稲荷神社
もりおかかいうん神社
北山地区に鎮座。盛岡八幡宮・桜山神社と並び、盛岡藩ゆかりの神社です。
盛岡の町づくりの総鎮守とされたのが始まりで、藩政時代は盛岡城内に「もりおか開運神社」として祀られていました。
明治維新により、一度廃社となります。
昭和に入り、この地 (北山) に再興しています。
初詣の時期は、参拝者で賑わいます。
注目すべきは、こちらの庭園 (緑風苑) です!
かつてこの場所にあった庭園を、神社再興の際、蘇らせたといいます。
藩政時代、この庭園を造ったのは、方長老 (ほうちょうろう) という人物。この付近に住んでいたといいます。
もともとは対馬藩の朝鮮外交僧で、外交をめぐる藩の国書改ざんの罪を負い、1635 (寛永12) 年、盛岡藩お預けの身となっています。
盛岡では造園の他、産業・文化の発展にも大きく貢献しています。
清酒の醸造技術を広めたり、南部鉄器の創出にも関わったとされます。
また、盛岡藩領では牛が多く飼育されていることから、藩主に牛乳の飲用をすすめたという説もあります。
これは、江戸時代における牛乳の飲用について、かなり早い事例とされます。
ちなみに盛岡名物には、方長老が広めたとされる「黄精飴 (おうせいあめ)」というお菓子があります。
さて、神社の話に戻ります。
こちらが本殿です。
五穀豊穣・開運商売のご利益があります。
境内には他に、子授け・安産の神、合格・学業の神などが祀られています。
階段の上に鎮座するのは「金殖 (かねづくり) 神社」です。
名前の通り「金を殖 (ふ) やす」神様です!
かつては、中ノ橋通に「斗米稲荷」として祀られていました。
昭和初期に、この場所に遷座するまで、岩手銀行 (当時 : 岩手殖産銀行) の守護神だったといいます。
それでは…
市内中心部へ移動します!
盛岡城跡公園の菜園側になります。
この場所は「榊山稲荷曲輪 (さかきやまいなりくるわ)」と呼ばれます。
藩政時代は、この場所に「もりおか開運神社」が祀られていました。
また、盛岡市役所脇の一角に、庭石があります。
この付近にあった、南部家重臣の屋敷の庭にあったもので、方長老が築庭したといわれています。
最後に、盛岡市内の代表的な神社です!
※ 盛岡八幡宮
※ 大宮神社
※ 桜山神社