紺屋町
(こんやちょう)
中津川の清流を利用した、紺屋 (染物屋) が集まっていたことに由来します。
この町で作られた染物は、盛岡藩の特産になっていたようです。
現在「紺屋町」と呼ばれる地域には、「旧鍛冶町」が含まれます。鍛冶職人が多く住んでいたことに由来します。
この通りは「奥州街道」の名残です。街道の中でも、主要な場所のひとつだったといいます。
現在でも古い建物が残っています。
茣蓙九 森九商店
現在も営業中、1816年創業の商家です。
「茣蓙九 (ござく)」とは屋号になります。
屋号のごとく、ござ・畳・わら工芸・荒物を扱っています。
【盛岡秋まつりの様子】
紺屋町番屋
藩政時代から続く「南部火消し」の伝統を受け継ぐ、消防団 (よ組) の番屋です。こちらの建物は、大正時代に建てられたものです。
現在は老朽化により、内部には入れません。対策工事をして一般開放する話もあります。
【盛岡秋まつりの様子】
菊の司酒造・平興商店
酒造創業1772年、岩手県内最古の酒蔵です。
盛岡は、酒造りに欠かせない地下水が豊富だといいます。領内発祥の「南部杜氏」は、日本三大杜氏に数えられています。
酒蔵の向かいにある酒屋が「平興商店」です。
酒屋でありながら、店内で買ったお酒を飲むことができます。このスタイルは、全国的には「角打ち」といい、盛岡では「もっきり」とも呼ばれます。
あの有名な酒場を放浪する番組ではありませんが、以前、吉田類さんが来ていました。
(この酒蔵付近が、旧鍛冶町になります)
鍛冶町一里塚跡
「史跡 奥州道中 鍛冶町一里塚跡」と記されています。
江戸・日本橋から一里 (約4km) ごとに、目印として「塚」が築かれていたそうです。そのひとつになります。
ただ、鍛冶町は町中ということもあり、大規模な「塚」は作られなかったようです。
盛岡市内 (旧奥州街道) にも、塚の名残 (上田一里塚) があります。
昔は馬 (伝馬) を使って、情報などが受け渡されていました。その重要な役割を担っていたのが宿場です。
よって、一部の宿場は「宿駅」とも呼ばれたそうです。
旧鍛冶町にも宿駅があり、「盛岡駅」と呼ばれていた時代があったようです。
紺屋町の裏 (中津川沿い) です。
喫茶店「ふかくさ」は、朝ドラ『どんど晴れ』で、ヒロインが下宿する喫茶店のモデルになっています。
その先が「茣蓙九」裏の土塀です。
旧鍛冶町の裏です。
このあたりは、夜になってもキレイです!
このブログにもよく登場する「東北電力」の鉄塔です。
前身の「盛岡電気株式会社」は、明治期に紺屋町に開かれました。