ブラモリオカ

岩手県盛岡市の非公認ガイドです。盛岡もの識り検定(もりけん)2級合格者、もりおかコンシェルジュが色々書いています。

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宮沢賢治と盛岡の寺町通り・北山寺院群。

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寺町通り・北山寺院群

宮沢賢治ゆかりの寺

 

北山・名須川地区は、藩政時代からの寺町です。

 

盛岡城からみて、北東の方角(鬼門)に当たるこの周辺。そのため、町づくりの際に主要な寺院が置かれました。

 

現在でも19軒のお寺があります。

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中心になる通りは「小本・野田街道」です。

 

盛岡市街地への玄関口は、通称「寺町通り」と呼ばれ、「日本の道百選」にも選ばれています。

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この周辺には、学生時代を盛岡で過ごし、熱心な仏教徒だった、宮沢賢治ゆかりのお寺が数軒あります。

 

① 清養院 

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賢治は盛岡中学校(現盛岡一高)時代、諸事情で退寮を命じられます。そのあと下宿していたお寺です。ともに退寮を命じられた寮生数名と下宿していたそうです。

 

② 徳玄寺

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賢治は1人、清養院からこちらのお寺へ移ります。生家の菩提寺と宗派が同じだったからではないかと言われています。

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こちらのお寺で1年間生活し、盛岡中学を卒業します。その後、岩手病院(現岩手医科大学附属病院)での入院生活が始まります。

 

③ 報恩寺

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500体(実際には499体)の羅漢像「五百羅漢」があるお寺です。その羅漢堂は観光名所になっています。

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賢治はこの寺に参禅に訪れ、仏教を学んでいたといいます。

 

④ 教浄寺

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中学卒業後、岩手病院に入院した賢治。退院後は花巻の実家に戻り、しばらくの間、病気療養や家業の手伝いをしていました。

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その後、盛岡高等農林学校(現岩手大学農学部)を受験すると決意。このお寺に下宿しながら猛勉強し、見事合格します。

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碑に刻された文語詩は「文語詩稿五十篇」のうちの一篇です。

 

※ この場所について ↓↓↓

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⑤ 願教寺

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賢治は中学時代、このお寺で開催された「夏季仏教講習会」に参加したことで、真に仏教に目覚めます。

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碑に刻されているのは、講習会の時に詠まれた歌です。

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当時住職だった島地大等との出会いが、その後の賢治の生き方の原点になったと言われています。

 

賢治が生きた37年間は、東北地方を中心に自然災害や凶作が特に多く、世の中には悲しみが溢れていたといいます。

 

生まれた年に「明治三陸地震」「陸羽地震」、27歳の時に「関東大震災」、亡くなる少し前に「昭和三陸地震」が発生しています。

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自身も病気や親との確執など、波瀾万丈な人生を送りながら、「本当の幸せ」「全ての人の幸せ」を生涯考え続け、それは作品の随所にあらわれているといいます。

 

※ 盛岡市内に残る賢治ゆかりの場所 ↓↓↓ 

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