宮沢賢治は花巻出身ですが、学生時代を盛岡で過ごしています。市内に残る「賢治ゆかりの場所」をたどってみます。
「銀河鉄道」をモデルにした「SL銀河」を見学できる場所も紹介します!
① 旧盛岡高等農林学校本館
現在は「岩手大学農学部附属農業教育資料館」になっています。賢治はここで地質学や土壌学を学びました。
賢治関連の資料も展示されています。岩手大学の敷地内にあり、一般公開されています。
※ 入館料が必要です
資料館の裏にある「ポランの広場」です。賢治作品から付けられました。
「未来と過去をつなぐ」をテーマに、賢治の世界観が表現されています。
当時の門番所も残されています。
周辺は植物園になっています。
※ この場所について
② 材木町
メイン通りを「いーはとーぶアベニュー」と呼んでいます。
旧高等農林 (現岩手大学) から近く、賢治ゆかりの町でもあります。あの有名な童話がこの通りで刊行されています。
賢治の世界観を表現したモニュメントがあります。
当時、賢治が通っていたお店もあります。
【村定楽器店】
賢治が蓄音機やレコードを購入していたお店です。
【東山堂支店】
賢治が書籍を購入していたお店です。「ツケを花巻にいる父親にまわした」という逸話が残っています。
【光原社】
かつて出版社だったこのお店、社名は賢治が命名しています。
賢治の作品には有名なものがたくさんありますが、生前はあまり評価されませんでした。
唯一刊行されたのが『注文の多い料理店』です。その出版元になります!
現在は鉄器・漆器をはじめ、様々な物産を取り扱うお店になっています。裏には喫茶店や展示室もあります。
「宮澤賢治 イーハトーヴ童話 注文の多い料理店 出版の地」と書かかれた碑が建っています。
童話『烏の北斗七星』の一部を刻んだ石柱もあります。
【法華宗 本正寺】
賢治の死後、父の政次朗は、本人の遺言通り『国訳妙法蓮花経』を1,000部刊行し、賢治の友人達に配りました。
刊行の際、文字の校正をしたのが、このお寺の住職でした。
※ この場所について
③ 賢治清水 (旧玉井家の井戸)
高等農林の3年生になった賢治は弟らとともに、下の橋際の玉井家に下宿します。
当時使われていた、共同井戸のみが残っています。この井戸と同じ水脈から清水が引かれています。
清水の隣に建つ碑には「ちゃんがちゃがうまこ」の詩が刻まれています。
「チャグチャグ馬コ」を詠んだ詩です。当時は下の橋を通り、馬が全力疾走していく行事だったといいます。
④ 盛岡城跡公園 (岩手公園)
公園内 (芝生広場) には、賢治の詩『岩手公園』が刻まれた碑があります。
盛岡中学や玉井家からも近く、賢治が度々訪れていた場所です。
※ この場所について
⑤ 内丸教会
賢治の詩『岩手公園』には、この教会の宣教師・タッピング牧師夫妻が登場します。
熱心な仏教徒だった賢治ですが、この教会に聖書の講義を聞きに訪れ、一家と親しかったといいます。
※ この場所について
⑥ 岩手銀行赤レンガ館
『岩手公園』の一節「川と銀行 木のみどり まちはしづかにたそがるゝ」の銀行とは、この建物のことです。
現在は保存活用し、多目的ホール・展示施設になっています。賢治はこの建物を気に入っていたようです。
※ 入館無料スペースと有料スペースがあります
※ この場所について
⑦ もりおか啄木・賢治青春館
賢治と石川啄木ゆかりの場所、学生時代のエピソードなどを紹介しています。
2人の盛岡での青春時代を知ることができます。
こちらも、銀行だった建物を保存活用しています。
※ 入館無料です
⑧ 岩手医科大学附属病院
賢治が入院した際、看護婦に恋心を抱いたというエピソードがあります。
入院生活の体験、不安や葛藤を『岩手病院』(当時の名称) という詩にしています。
⑨ 盛岡劇場
教員時代の賢治が、映画や歌劇を鑑賞するため、花巻から足しげく通った場所です。
※ この場所について
⑩ SL銀河・SL車両基地
花巻駅~釜石駅間 (釜石線) を、毎年4月~9月頃 (主に土・日・祝日) 運行されています。
※ 乗車には予約が必要
平日は盛岡で整備されています。
よって、花巻に向かう日の朝、戻って来る日の夕方、東北本線沿いで見ることができます。
盛岡駅裏にある「盛岡車両センターSL検修庫」です。
シャッターが開いていると、整備中の「SL銀河」を見学できます。
(閉まっている場合もあります!)
※ この場所について