ブラモリオカ ‐岩手県盛岡市非公認ガイド‐

観光客数に伸び悩む岩手県や盛岡市。岩手県⇒面積は47都道府県中【第2位】…観光客数は【ワースト2位】経験あり。盛岡市⇒東北6県庁所在地の中で常に【最下位】。岩手への観光客は、世界遺産・平泉⇒仙台&松島(宮城県)パターンが多いのが現実。「盛岡もの識り検定(通称 : もりけん)2級」合格者、一応「もりおかコンシェルジュ」が岩手県や盛岡市のメジャーからマイナーまでをご紹介。モットーは「なるべくゆる~く」。

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岩手の消費生活センターは優秀!柴内魁三のパワーかもしれない!

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最近、ちょっと色々ありまして、人生で初めて消費生活センターのお世話になりました。いわゆる「ネットで稼げます」系に…。

 

39万円支払って、なんとか30万円は取り戻せました。ただ、今の私にとって9万円はかなり大きいのですが…。とりあえず精神的に超疲れました。

 

岩手県のセンターは優秀で、NHKの全国放送にも取り上げられたという話を聞いたので、思い切って相談してみました。

 

ただ、控え目な岩手県民の気質として、消費者トラブルに遭遇しても、相談せずに泣き寝入りしてしまう人が、かなり多いようです。

 

そんな私個人の話はさておき…

 

今回紹介したいのは、岩手県立県民生活センター(消費生活センター)の敷地内にあるこちらの石碑です。

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ー岩手の盲聾教育発祥の地ー

 

柴内魁三 (しばない・かいぞう)

 

1879(明治12)年生まれ。盛岡尋常中学校(現盛岡第一高校)を卒業後、陸軍士官学校に入学し、職業軍人になります。日露戦争で被弾し、両目を失明します。

 

戦後は軍人恩給を受けて生活していましたが、盲目であっても社会の役に立とうと、東京盲唖学校教員練習課に入学します。

 

● 岩手盲唖学校の設立

 

1911(明治44)年、東北初の私立「岩手盲唖学校」を設立し、校長に就任します。

 

しかし、運営には苦労が絶えず、柴内は自身の軍事恩給を全額拠出し、鉛筆売りなどの事業を行い、運営資金の足しにしていたといいます。

 

1926(大正15)年、岩手県に移管。柴内がそのまま校長を続けます。退職後も「柴内愛育会」を作り、援助し続けたといいます。

 

これが現在の岩手県立盛岡視覚支援学校・盛岡聴覚支援学校の前身です。

 

 ● 盛岡市の水道事業

 

1928(昭和3)年、民間の水道事業所である、盛岡水道事業組合を創設。これが盛岡市の上水道の始まりです。

 

この時点で、東北地方の県庁所在地において、水道がないのは盛岡市のみ

 

大きな産業もなく、元々お金がない県庁所在地。第一次世界大戦後の不景気もあり、市の財政は相当厳しかったようです。

 

そんな中、柴内は民間レベルで水道事業を起こします。これが後に盛岡市に買収されます。1934(昭和9)年、市による本格的な水道事業が開始されました。

 

● 購販利用組合病院の設立

 

柴内は、友人から上の橋際にあった私立病院の経営委託を受け、公共的なかたちで運営を開始します。

 

その友人は病気で倒れ、病院の経営状況も厳しかったといいます。

 

これが、岩手県立中央病院の前身になります。

 

私立病院を公立病院に。この方式が今では県内各地にある、岩手県立病院の創設へと繋がっていきます。

 

● 傷痍軍人精神指導講師

 

日清・日露戦争で負傷した軍人の中には、精神的ショックから立ち直れない人が多くいたそうです。

 

当時の厚生省と陸軍省から依頼を受け、全国各地の軍事保護院をまわり、収容兵を激励し、更正を図ったといいます。

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まさに「みちのくのヘレン・ケラー」とでも申しましょうか。

 

ちなみに、1937(昭和12)年6月29日、ヘレン・ケラーが岩手盲唖学校を訪れています。

 

恐らく多くの盛岡市民が、柴内という人物の存在を知らないと思います。

 

しかし、私達が便利に暮らせているのは、そういう人達の絶え間ない努力によるものなのでしょう。

 

やはり、楽して金儲けなんぞしようとしてはダメですね。

 

人の役に立つことをしないと!

 

消費者トラブルは急増しているようです。特にネットによるものは顕著。ぜひとも泣き寝入りせず、お近くのセンターに相談しましょう!

↓↓↓↓↓

http://www.kokusen.go.jp/index.html

 

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