盛岡町家旧暦の雛祭り
鉈屋町界隈
「なたやちょう」と読みます。
今でも、城下町時代の古い町並みが残る場所です。
旧暦の雛祭りに合わせ、40軒近くの町家・商店が雛人形を飾り、一般公開しています。
【開催日】
毎年4月の第2土曜・日曜日
受付にて「通行手形 (500円)」を購入をすることで、自由に見学ができます。
一度購入すれば、 2日間有効です。
町家の維持費に充てられるとのこと。
ちなみに盛岡市街地側の入口は、道路の作りが独特です。
薬局の前でカックンと曲がる広い道が、旧奥州街道になります。そこに合流する狭い道が、旧宮古・遠野街道になります。
旧宮古・遠野街道側から ↓↓↓
薬局の中にも…
奥州街道の名残は「惣門通り」といいます。盛岡城下南の玄関口として、門 (惣門) があったことにちなんでいます。
この通りにある「円光寺」には、米内光政 (第37代内閣総理大臣) のお墓があります。
「花巻人形」のお雛様も飾られています。
この界隈にはお寺が数多くあります。
祭壇を使った、葬儀屋さんの雛飾りです。
再びメイン会場である、鉈屋町に戻ってきました。
岩手ではおなじみの「吊るし雛」です。
一般住宅の玄関を開放しています。
ジーンズショップの先を左に曲がると…
その奥が「大慈寺」になります。
平民宰相でおなじみ、原敬 (第19代内閣総理大臣) のお墓があります。
家主さんのご厚意で、特別に上から撮影させていただきました。
「大慈清水」という共同井戸です。
現在も使われています。
「鉈屋町」の町名は、京都の豪商だった、鉈屋長清という人物がこの地に来て、「釶屋山 (しゃおくさん) 菩薩院」というお寺を建てたことに由来します。
そのお寺が、この清水付近にあったといいます。
また近隣 (大慈寺前) には、「青龍水」という共同井戸もあります。清流が湧く地域だったため、酒の蔵元が多く蔵を構えたようです。
理容室の中にも…
こちらは元理容室です。
ここで道が分かれます!
左へ曲がると、旧宮古街道になります。そのまま行くと、旧遠野街道になります。
下の写真は旧宮古街道から。
再び、旧遠野街道へ。
「盛岡秋まつり」で運行される、南部風流山車も展示されています。
秋まつりでもおなじみ、家々をまわって「音頭あげ」をしています。
奥の建物は「あさ開」という酒蔵です。
旧制盛岡中学校の図書庫が保存されています。
案内板には、石川啄木がこの蔵を詠んだ短歌が刻まれています。
街道に戻りまして…
こちらは 「もりおか町家物語館」になります。
かつての酒蔵を改装した交流施設です。
案内所・喫茶スペース・お休み処などがあります。
酒蔵だった広いスペースを使って、コンサートなども開かれます。
雛祭り期間中も、この場所では様々なイベントが開催されました。
この先、遠野方面へと道は続きます。
先週放送された『1億人の大質問 !? 笑ってコラえて !』のSP版。「日本列島 ダーツの旅」で、岩手県が当たりました。
所ジョージさん自ら訪れた、大迫町 (現花巻市) の旧宿場にも繋がっています。
遠野は盛岡に次ぐ城下町として栄えました。その途中にある「大迫宿」もかなりの賑わいだったといいます。
4月も中旬ということで「五月人形」が一緒に飾られている場所もありました。
場所は変わって、北上川沿いの通り (明治橋際) になります。
先程の場所から徒歩5分ぐらい。
かつて盛岡藩の米の備蓄蔵だった「御蔵」です。
現在は「下町史料館」になっています。