ブラモリオカ

岩手県盛岡市の非公認ガイドです。盛岡もの識り検定(もりけん)2級合格者、もりおかコンシェルジュが色々書いています。

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平泉に浄土思想の都市が築かれたきっかけ! 盛岡に残る前九年や安倍館とは?奥州のアベちゃん発祥の地…かも!

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安倍館 (あべたて)

 

かつて城柵だった場所で、今でも堀跡が残っています。「嫗戸柵 (うばとのさく)」跡という説が有力です。

 

かつてこの地を治めていた、豪族・安倍氏に関係しています。

 

ただ、残っている堀跡は、安倍氏の後にこの地を治めていた、工藤氏時代のものといわれています。

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安倍氏は平安時代、陸奥国 (現在の東北太平洋側) に強大な勢力を持っていました。

 

当時の奥六郡 (盛岡市から奥州市に至る地域) を基盤とし、多賀城 (宮城県多賀城市) を拠点とする朝廷勢力が及びながらも、半ば独立的な統治を果たしていました。

 

衣川 (奥州市) など、北上川流域に複数の拠点を持ち、その最北がこの地 (厨川) だったといわれています。

 

現在でも市内に残る「厨川 (くりやがわ)」という地名。かつてこの一帯がこう呼ばれていました。現在の「雫石川」を「厨川」と呼んでいたようです。

 

前九年合戦 (ぜんくねんかっせん)

 

1051 (永承6) 年~1062 (康平5) 年に起きた 安倍氏と源氏の戦い です。「前九年の役 (ぜんくねんのえき)」ともいいます。

 

朝廷は安倍氏の勢力を恐れていました。朝廷は 源頼義 (みなもとのよりよし) を多賀城に置き、安倍氏を挑発するも、苦戦を強いられました。

 

頼義と息子の義家は、出羽国 (現在の東北日本海側) の清原氏の援軍を得て、巻き返しを図ります。棟梁の安倍貞任 (あべのさだとう) を厨川で討ち、戦いは終息しました。

 

この戦いは、源氏が東国で勢力を固め、後の武家政権「幕府」を立ち上げる大きな契機になったといいます。

 

「前九年」は現在も地名として残っています。

 

討たれた貞任をしのび、建立された神社があります。

 

厨川八幡宮

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安倍館の中心地、かつての本丸跡地に祀られています。

 

神社の裏には北上川が流れています。

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※ 館坂橋から上流 (安倍館方向) を撮影

 

この場所より下流に「夕顔瀬 (ゆうがおせ)」という地名があります。

 

前九年合戦の時、朝廷軍 (源・清原) の兵は数万、対して安倍軍は数千。敵を欺くため、夕顔に兜をかぶせた藁人形を並べたことに由来しています。

 

しかし、城柵は攻められ、夕顔は北上川を流れていきました。川瀬が夕顔で埋め尽くされたといいます。その場所は現在の「夕顔瀬橋」付近。

 

安倍館の対岸には…

 

手掛けの松

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前九年合戦の時、源義家が城柵 (現在の安倍館) を見上げるため、松に手を掛けたなどの伝説があります。※ 諸説あり

 

この近くにある…

 

八幡森 

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源義家の陣営跡といわれています。

 

再び安倍館へ。

 

一ノ倉邸

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安倍氏の末裔で、盛岡市出身の政治家、阿部浩 (あべひろし) の別荘でした。東京府知事などをつとめた人物です。明治時代に建てられました。

 

現在は盛岡市が所有していて、無料で内部の見学ができます。

 

ちなみに東北地方、「アベ」姓 が非常に多いのです。(阿部・安倍・安部など)

 

また、前九年合戦で敗れた安倍一族の中には、伊予国 (愛媛県)・筑前国 (福岡県)・肥後国 (熊本県) などに流された者も多いといいます。

 

現在の中国・四国・九州地方にも、厨川の地で敗れた安倍一族の末裔がいるといいます。

 

ちなみに山口県出身、あの内閣総理大臣も安倍氏の末裔です!

 

それに関係しているのかは分かりませんが、貞任のお墓といわれる「貞任塚」が山口県にあります。

 

また、京都府には貞任の首を埋めた「貞任峠」があったりと、全国各地に伝承が残っています。

 

安倍館地区から前九年地区へ異動します。

 

敵見ヶ森 (かたきみがもり)

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この付近には、安倍一族の女性・子どもの屋敷があったようです。前九年合戦では、安倍軍がこの場所に櫓を建て、敵を見張ったといいます。

 

続いて天昌寺地区へ。

 

天昌寺 (てんしょうじ)

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このお寺があるのは「天昌寺台地」という場所で、「厨川柵 (くりやがわさく)」という、安倍氏居城の中心地だったという説が有力です。

 

安倍氏が城柵内に祀っていた祈願所を継承したお寺だといいます。

 

ただ、農地化・宅地化・地形の変化・度重なる河川の流動…。安倍氏の居城について、正確な場所を割り出すのは相当難しいようです。

 

この付近を流れる…

 

諸葛川 (もろくずがわ)

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前九年合戦の時、安倍氏が籾殻 (もみがら) をまいて、敵の目をくらませたという説があります。「もみくず」⇒「もろくず」に変わったとか。

 

この時代の東北は戦だらけ

平安京に都が定められた頃、大和朝廷の勢力は東北へ強く及びました。

 

朝廷により、志波城・徳丹城 (矢巾町) など、新しい城柵が築かれるも、再び地方豪族の勢力が強まりました。

 

※ 志波城について詳しくはこちら ↓↓↓

www.buramorioka.com

 

そして、前九年合戦が始まります。

 

安倍氏が討たれた後、清原氏がこの一帯を治めます。

 

しかし、清原氏の内部抗争に端を発する「後三年合戦 (ごさんねんかっせん) 」が始まります。

 

最終決戦の場所、金沢柵 (かねざわさく) は、現在の秋田県横手市周辺といわれます。

 

そして、新たに治めることになったのが…

 

藤原清衡 (ふじわらのきよひら)

奥州藤原氏の初代です。

 

安倍氏・清原氏の子孫になります。「戦のない世の中」を目指し、浄土思想の都市を築きました。

 

その都市こそが、世界文化遺産にもなっている平泉です!

 

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