ブラモリオカ ‐岩手県盛岡市非公認ガイド‐

観光客数に伸び悩む岩手県や盛岡市。岩手県…面積は47都道府県中【第2位】、観光客数は【ワースト2位】経験あり。県庁所在地・盛岡市…東北6県の県庁所在地の中で常に【最下位】。岩手県への観光客は、世界遺産・平泉→仙台&松島(宮城県)パターンが多いのが現実。「盛岡もの識り検定(通称 : もりけん)2級」合格者、一応「もりおかコンシェルジュ」が岩手県や盛岡市のメジャーからマイナーまでをご紹介。モットーは「なるべくゆる~く」。

世界遺産・平泉。浄土思想の都市が築かれたきっかけは? 盛岡に残る「前九年」や「安倍館」とは。奥州のアベちゃん発祥の地…かもしれない。

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安倍館 (あべたて)

 

かつて城柵だった場所です。今でも堀跡が残っています。「嫗戸柵(うばとのさく)跡という説が有力です。

 

かつてこの地を治めていた豪族、安倍氏に関係しています。

 

ただ、残っている堀跡は、安倍氏の後にこの地を治めていた工藤氏時代のもの。

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安倍氏は平安時代、陸奥国(現東北太平洋側)に強大な勢力を持っていました。

 

当時の奥六郡(現盛岡市から奥州市に至る地域)を基盤とし、多賀城(現宮城県多賀城市)を拠点とする朝廷勢力が及びながらも、半ば独立的な統治を果たしていました。

 

衣川(現奥州市)など北上川流域に複数の拠点を持ち、その最北がこの地(厨川)だったといいます。

 

現在でも市内に残る厨川(くりやがわ)という地名。かつてこの一帯がこう呼ばれていました。現在の「雫石川」「厨川」と呼んでいたようです。

 

前九年合戦 (ぜんくねんかっせん)

 

1051(永承6)年~1062(康平5)年に起きた安倍氏源氏の戦いです。「前九年の役(ぜんくねんのえき)ともいいます。

 

朝廷は安倍氏の勢力を恐れていました。朝廷は源頼義(みなもとのよりよし)を多賀城に置き、安倍氏を挑発するも、苦戦を強いられました。

 

頼義と息子の義家は、出羽国(現東北日本海側)の清原氏の援軍を得て、巻き返しを図ります。棟梁の安倍貞任(あべのさだとう)を厨川で討ち、戦いは終息しました。

 

この戦いは、源氏が東国で勢力を固め、後の武家政権「幕府」を立ち上げる大きな契機になったといいます。

 

前九年は現在も地名として残っています。

 

討たれた貞任をしのび、建立された神社があります。

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厨川八幡宮 (くりやがわはちまんぐう)

 

安倍館の中心地。かつての本丸跡地に祀られています。

 

神社の裏には北上川が流れています。木がこんもりしている場所が安倍館になります。(※館坂橋から上流を撮影)

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この場所より下流に、夕顔瀬(ゆうがおせ)という地名があります。

 

前九年合戦の時、朝廷軍(源・清原)の兵は数万、対して安倍軍は数千。敵を欺くため、夕顔に兜をかぶせた藁人形を並べたことに由来しています。

 

しかし城柵は攻められ、夕顔は北上川を流れていきました。川瀬が夕顔で埋め尽くされたといいます。その場所は現在の夕顔瀬橋付近。

 

安倍館の対岸(北東方向)には…

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手掛けの松 (てかけのまつ)

 

場所は高松二丁目になります。国道4号線に架かる北大橋の近く。

 

前九年合戦の時、源義家が城柵(現在の安倍館)を見上げるため、松に手を掛けたなどの伝説があります。※諸説あり※

 

この近くにある…
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八幡森 (はちまんもり)

 

源義家陣営跡といわれています。

 

再び安倍館へ…

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一ノ倉邸 (いちのくらてい)

 

安倍氏の末裔で、盛岡市出身の政治家、阿部浩(あべひろし)の別荘でした。東京府知事などをつとめた人物です。明治時代に建てられました。

 

現在は盛岡市が所有しています。無料で内部の見学ができます。

 

ちなみに東北地方、「アベ」姓が非常に多いのです。(阿部、安倍、安部など)

 

また、前九年合戦で敗れた安倍一族の中には、伊予国(現愛媛県)・筑前国(現福岡県)・肥後国(現熊本県)などに流された者も多いといいます。

 

現在の中国・四国・九州地方にも、厨川の地で敗れた安倍一族の末裔がいるといいます。(ちなみに山口県出身、あの内閣総理大臣も安倍氏の末裔です)

 

それに関係しているのかは分かりませんが、貞任のお墓といわれる「貞任塚」が山口県にあります。また、京都府には貞任の首を埋めた「貞任峠」があったりと、全国各地に伝承が残っています。

 

安倍館から南西方向へ異動…

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敵見ヶ森 (かたきみがもり)

 

場所は前九年三丁目になります。

 

この付近には、安倍一族の女性・子どもの屋敷があったようです。

 

前九年合戦では、安倍軍がこの場所にを建て、敵を見張ったといいます。

 

更に南西方向へ…

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天昌寺 (てんしょうじ)

 

このお寺があるのは天昌寺台地という場所。「厨川柵(くりやがわさく)といい、安倍氏居城の中心地だったという説が有力です。

 

安倍氏が城柵内に祀っていた祈願所を継承したお寺だといいます。

 

ただ、農地化・宅地化・地形の変化・度重なる河川の流動…。安倍氏の居城について、正確な場所を割り出すのは相当難しいようです。

 

この付近を流れる…

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諸葛川 (もろくずがわ)

 

前九年合戦の時、安倍氏が籾殻(もみがら)をまいて、敵の目をくらませたという説があります。「もみくず」⇒「もろくず」に変わったとか。

 

ーこの時代の東北は戦だらけー

 

平安京に都が定められた頃、大和朝廷の勢力は東北へ強く及びました。

 

朝廷により志波城・徳丹城(現矢巾町)など、新しい城柵が築かれるも、再び地方豪族の勢力が強まりました。

 

※志波城について詳しくはこちら↓↓↓

www.buramorioka.com

 

そして、前九年合戦が始まります。

 

安倍氏が討たれた後、清原氏がこの一帯を治めます。

 

しかし、清原氏の内部抗争に端を発する、後三年合戦(ごさんねんかっせん)が始まります。最終決戦の場所、金沢柵(かねざわさく)は、現在の秋田県横手市周辺といわれます。

 

そして、新たに治めることになったのが…

 

藤原清衡 (ふじわらのきよひら)

 

奥州藤原氏の初代です。安倍氏・清原氏の子孫になります。戦のない世の中を目指し、浄土思想の都市を築きました。

 

その都市こそが、世界文化遺産にもなっている平泉です。