ブラモリオカ ‐岩手県盛岡市非公認ガイド‐

観光客数に伸び悩む岩手県や盛岡市。岩手県…面積は47都道府県中【第2位】、観光客数は【ワースト2位】経験あり。県庁所在地・盛岡市…東北6県の県庁所在地の中で常に【最下位】。岩手県への観光客は、世界遺産・平泉→仙台&松島(宮城県)パターンが多いのが現実。「盛岡もの識り検定(通称 : もりけん)2級」合格者、一応「もりおかコンシェルジュ」が岩手県や盛岡市のメジャーからマイナーまでをご紹介。モットーは「なるべくゆる~く」。

四十四田ダム。上流にあった「雲上の楽園」とは? 北上川ゴムボート川下り大会のスタート地点。別名・南部片富士湖。

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四十四田ダム (しじゅうしだだむ)

 

治水(洪水被害の軽減等)と水力発電を目的として、北上川本流に建設された唯一のダムです。今年は完成から50年の節目になります。

 

市街地から北に約6キロ。憩いの場になっています。

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「四十四田」は、安倍貞任という豪族の館があった場所(現在の安倍館町付近)から、上流に数えて「44番目の沢」があったことに由来。

 

「南部片富士湖 (なんぶかたふじこ)とも呼ばれます。これは観光協会が命名。

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「南部片富士」とは「岩手山」のこと。

 

静岡県側から見た「富士山」に似ていて、片側(向かって左)が削げているようにみえることから、こう呼ばれるようになったとか。※諸説あり※

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周辺には、桜(約600本)が植えられています。春には花見が楽しめます。

 

「四十四田橋」が架かっています。

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このダムの上流にあったのが…

【松尾鉱山

 

1914(大正3)年に松尾鉱業株式会社が設立され、本格的な操業がスタート。

 

最盛期、1955(昭和30)年頃には「東洋一の硫黄鉱山」でした。周辺には、鉱山労働者、その家族などを含め、1万5千人もの人々が生活していました。

 

福利厚生施設が充実。当時としては珍しい、水洗トイレ、暖房完備、鉄筋コンクリートによる集合住宅。(光熱費・水道代は無料) 小・中・高等学校、病院、図書館、映画館などもあり、会館には当時活躍していた芸能人を招いて公演を行うほど。

 

標高1,000mの場所に、当時の日本の最先端施設を備えた近代的な都市が形成され、「雲上の楽園」と呼ばれていました。

 

この企業が、岩手県及び周辺地域にもたらした経済効果は絶大。製品搬出港となった八戸港の発展。鉱山からの多額の寄付が、盛岡高等工業学校(現 岩手大学工学部)設置の決め手になるなど、企業の地域貢献の先駆けだったといいます。

 

しかし、時代の波で1972(昭和47)年に閉山。

 

また、この鉱山から出る廃水は、近くを流れる赤川から北上川に流れ込んでいました。当時、盛岡市内を流れる北上川は常に黄土色に濁り、魚が住めない川になっていたといいます。

 

人々は近寄らず、「死の川」と呼ばれるほど。

 

1968(昭和43)年、特殊な構造を持つ、この「四十四田ダム」が完成。治水や水力発電の他、水質を改善させる機能もあります。

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これにより、ダム以南については、ある程度清浄化されたといいます。

 

1981(昭和56)年「旧松尾鉱山新中和処理施設」(八幡平市内) が完成。多額の費用をかけて、現在も24時間365日、中和処理が行われています。

 

これにより水質は改善。盛岡市内の川に再び鮭が遡上するようになりました。

 

こちらがダム以南。盛岡市街地方面になります。

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この場所、毎年7月に行われる「盛岡・北上川ゴムボート川下り大会」のスタート地点になります。

 

800艘以上のゴムボートが、北上川(四十四田ダム~盛岡市街地まで)を下るレース大会。「ギネス世界記録」に認定されています。

 

また、ダム周辺には複数の公園が整備されています。

 

下の写真は「四十四田公園」からの眺め。

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近隣には、岩手県立博物館もあります。