※ 写真はイメージです
盛岡市は、空襲被害が少ない都市といわれます。それでも盛岡駅を中心に、数回の空襲を受けています。
終戦の年 (1945年・昭和20年)
3月10日 午前2時頃
「東京大空襲」と同じ日に、盛岡駅とその周辺の地区が狙われました。家屋や商店155戸が焼失、死傷者8名、被災者613名。
7月14日~15日
この時期に空襲があったという話もありますが、正確なデータが残っていないようです。
8月10日 午前11時頃
「盛岡空襲」と呼ばれています。国鉄盛岡工場や盛岡ガスなどが狙われました。死傷者が出たなどのデータは残っていないようです。
終戦の直前の7月~8月にかけて、岩手県内いくつかの主要な都市が攻撃の対象になりました。
その中でも、大きな製鉄所があった釜石市は、2度の艦砲射撃 (海からの攻撃) を受け、甚大な被害が出ました。