上田一里塚
緑ヶ丘地区の「アネックスカワトク」前にある一里塚跡です。
藩政時代、この前を通る道が「奥州街道」でした。現代でもこの一角だけ、道路沿いに松が植えられ、当時の名残があります。
江戸・日本橋を起点とするのが「五街道」 (東海道・中山道・甲州街道・日光街道・奥州街道) です。
徳川幕府の国内統一事業のひとつとして、全国的に交通整備が行われたそうです。現代でいう「国道〇号線」といいたところでしょうか?
政策として、一里 (約4Km) ごとに、土を盛って樹木を植えた「塚」を築き、目印としていたようです。現代でいう道路標識でしょうか?
「塚」は、街道の両側に築くことが原則だったといいます。
木陰で旅人が休息を取れるように配慮されていたとか。現在のPA・SA・道の駅みたいな役割だったのでしょうか?
この道の反対側にもあったようですが、現在はこちらだけが残っています。
藩政時代から400年もの間、立派に育った「アカマツ」が中央にそびえ立っていました。
しかし、2004年8月31日の「台風16号」の影響で、当時14.8mあった松が根元から倒れ、大きなニュースになりました。
現在の松は、元の風景を取り戻そうと、翌年に植えられ、ここまで育ちました。