ブラモリオカ

岩手県盛岡市の非公認ガイドです。盛岡もの識り検定(もりけん)2級合格者、もりおかコンシェルジュが色々書いています。

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中津川が岩手・盛岡にもあります!秋には鮭が遡上します!

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中津川 

 

有名な信濃川水系と名前が被っているこの川、秋になると鮭が遡上してきます!

 

最後は「北上川」に合流します。鮭のごとく遡上しながら、中津川に架かる橋や、その周辺を紹介していきます。

 

下の橋

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藩政時代からある橋です。擬宝珠は明治期に別の橋から移されたものです。

 

かつてこの付近には「旧五千円札」でおなじみ、新渡戸稲造の生家がありました。

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擬宝珠・教会・石垣のコントラスト!

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宮沢賢治が学生時代に下宿していたのもこの付近でした。

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当時使われていた共同井戸跡が「賢治清水」として保存されています。

 

石垣の場所は「盛岡城跡公園」です。

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毘沙門橋

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歩行者専用の橋です。周辺にはハトがたくさんいます。

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盛岡城跡公園の堀跡から中津川へと流れています。夏にはホタルが観賞できます。

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向かって左側の歩行者専用道路は「ビクトリアロード」といいます。

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先程紹介した「新渡戸稲造生誕の地」から「下の橋」を渡り、この先紹介する「与の字橋」まで続いています。

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新渡戸が客死した場所が、カナダ・ビクトリア市になります。現在、盛岡市と姉妹都市になっています。

 

ベンチの背もたれは、盛岡藩主(南部家)の家紋「向鶴」です。

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夏になると、この辺りで子ども達が遊んでいます。

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中の橋

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橋自体は藩政時代からあり、当時は擬宝珠が付いていたようです。明治期に先程の「下の橋」に移されました。

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煉瓦作りの建物は「岩手銀行 赤レンガ館」(国の重要文化財)です。中ノ橋支店(旧本店)として、2012(平成24)年まで使われていました。

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現在は多目的ホールや展示施設として使われています。

 

こちらは「もりおか賢治・啄木青春館」(国の重要文化財)です。

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こちらも昔銀行だった建物を利用しています。宮沢賢治と石川啄木の作品、盛岡の街に関する資料館です。

 

この付近は、よく旅番組やドラマのロケにも使われます。

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与の字橋

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この新渡戸の銅像までが「ビクトリアロード」になります。

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こちらは「岩手県民会館」です。

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橋の名前の由来にもなった、番屋(昔の消防団の詰所)「よ組」跡です。

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上の橋

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こちらも藩政時代からあります。市内で一番歴史がある橋です。

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かつてこの橋の上を通る道は「奥州街道」でした。

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当時は牛を連れて歩く人も多く、人間が橋を渡り、牛は川を渡っていたといいます。

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